ここまで追い込まれても本気になれない君へ


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今回の記事はいつまで経っても本気になれていない私の甘ったるな生き方そのものを反面教師としての立場で書こうと思う。綺麗事を言うつもり等は毛頭ない。これは読者向けの記事ではなく、自分自身へ向け伝える記事なのだ。

だが、もしかしたら読者様が何かしら感じ取ってもらえるならば、この記事も完全な自己満で終わらないで済むかもしれない。

では、少し長くなるかもしれないし、意味不明な事をほざくかもしれないが興味ある方はご覧下さい。

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本気で生きていない

現在37歳の私はこの歳になっても、未だに本気で何かを頑張ってきたことがないんだと思う。明確には、その時その時の自分自身の中では本気ではあった。しかし、後から考えると「もっと頑張れたはず!もっとやれたはず!」と後から後悔する。

例えば、高校時代の俺の夢は「F1レーサー」。

その為に行動したことは、F1の登竜門であるレーシングカートを始めること。その為には大金が必要だったので、俺は朝は新聞配達、学校、そして夕方から工場のバイトを繰り返した。

だが、それでも金は足らない。

でも、あの時の自分は自分自身の中では本気で努力していたはずだった。

だが、後から思えば本当に本気だったのならば高校を辞めて単身で三重県鈴鹿市に行って向こうで働きながら何かしらコネを作ってレース活動をしていくのが1番だった。

しかし、その為には今ある「高校時代」を全て捨てないといけない。

友人、好きな片思いの子、家族・・・

更に向こうに単身で乗り込んでもモータースポーツの世界で活動するには大きな大金が必要であるし、あまりにも無謀な賭けでしかないのだ。だが、本気でその夢を追いかけていたのならば、全てを捨ててまで追いかけることが出来たのじゃないのか??

何よりも、高校卒業後にモータースポーツに力を入れていかなかったのは何故だ!?

そう、所詮は口だけで周りはおろか、自分自身ですら欺いていたのである。

「いつかなれるチャンスが来るんだ!」と甘ったれた思考の末に、22~23歳頃という今後F1レーサーを目指すには遅すぎる年齢になった時に最後のチャンスだと思って、鈴鹿レーシングスクールという最後のチャンスに賭けて、ただ受験しただけで俺の夢は簡単に崩れ去った。

本気でありながら本気じゃないんだと今更ながらに思う。

その教訓があるのに・・・

第二の人生を警察官に賭けた

時は経過して、そろそろ年齢的に警察官採用試験に受験できなくなる年齢に差し掛かった頃、俺はようやく警察官採用試験を高校卒業以来、数年ぶりに受験した。

当時、夢を追いかけて駄目ならば就職。でも、俺が就職して一生働けるのは警察官以外は無理だと思い込んでいた。だから、採用試験の年齢上限がヤバい頃になって、ようやく勉強を開始して受験するようになる。

当時の自分も本気で警察官になろうとしていた。

だが、勉強量も本気で目指す人から見れば大したことはなかったであろう。

採用試験は年2回。

これを3年ぐらい繰り返して受験した。

チャンスは確実にあった。

だが、最終的には第一次は突破しても第二次選考の面接で落ちた。

面接官(3人)の警察官達にはボロクソ言われた。

「今までの人生、君は一体何をしてきたの?」

「なんで高校生の頃に受験したのに、その後は受験しないで今更また受験しにきたの?」

「なんでまともに働いてこなかったの?」

「悪いけど、君の本気さが全然伝わってこないんだよね?」

どれだけ言われようが、あの時の自分は本気だった。だから、足掻いた。とにかく足掻いて面接官からのツッコミにもそれなりの対応をして上手くやり過ごした。だが、警察官である彼らには”当人の俺自身よりも本当の俺”を見抜いていたのであろう。

もう後がないのにも関わらず、それでも本気になっていない俺自身に・・・

当然、結果は不合格。

その後も第一次は突破しても、結局は第二の面接で落とされ、最終的には年齢上限限界の年に地元の県警を落ち、そしてもう1年だけ年齢上限が上の山形県警を落ちたことで、警察官という就職を叶えることはできなかった。

性根は何も変わっちゃいない

そして、現在の俺はブログをやりながらスロを打ち、物販を生業としている。そして、現在の夢は「小説家になって自分の作品をアニメ化したい」である。

だが、その為の努力をしているのか、本気になっているのか?

と、問われれば本気でもあるし、そうでもないと言えるだろう。

レーサー、警察官という自分自身がやりたかったことに一生懸命に本気になれずに後悔したという過去がありながらも、俺はまた同じ過ちを繰り返そうとしている。

もう37歳、いつ死ぬかすら分からない。

後、どのくらいの時間があるのか分からない。

少なくとも確実に言えるのは、若い時と違って時間はそんなにないということ。それが分かっていながらも、それだけ追い込まれているのに関わらず、それでも俺はまだ本気になれていないのである。

1番重要視するのは、間違いなく夢を追いかける為の行動をするのが大切なはずだが、現実は「毎月の生活費を稼ぐためのやりたくない行動」に重点を置いて、肝心の夢が疎かになっているのだ。

確かに毎月の生活費は必要だ。でも、毎月の収入や貯蓄をもっと増やしたいとさえ思っている自分もいるわけで、もしも本気で夢を叶えたいのならば最低限の生活費だけ稼いで残りの時間は全て夢の為に使うべきだというのに、それが出来ていないのだ。

いくら毎月の収入や貯蓄を増やしても、一向に夢は叶わないし、また後悔するのが目に見えているのに・・・

同じ過ちを繰り返してきて、更にこの歳になっても俺はそれでもまた同じ過ちを犯そうとしているのである。

どれだけ追い込まれても、それでも俺は心の底から本気になれていないのだ。

そもそも、このブログを書いている暇があるならば小説を書けと言いたい。

お酒を飲みながらスカイプで友人達に「夢」を語り勝手に舞い上がっている暇があるならば小説を書けといいたい。

全部何もかも自分では分かっているのに、それでも本気で行動をしていない。

とんでもなく甘ったれである。

もしも、医者に「残りの余命はあと1年です」と死の宣告を言われても本気になれていない気がする。

ブログも同じ

このブログだって同じである。

本気でブログに取り組んでいないのだ、初めからきっと・・・でも、それでも頑張っているつもりなんだ。

だから、誰かに頑張ってるねって言われたい。

読者からも良い評価を受けたい、ブログランキング上位にいきたい、人気ブロガーだって人に認められたい。

現実はアクセスも少なく、読者もいなくて、誰からも認められないようなブログ。

当然だ。

記事を書いている張本人が本気で記事を書いているのかも怪しいのだから。
だからこそ、内容も薄っぺらい。

そんなブログに読者がつかないのは、半ば当然であるといえよう。

全て分かっている。

それでも、自分は頑張っているんだって、俺は本気なんだって自分自身で思いたい!

だからこそ、こうしてアクセスも上がらない記事を律儀に投稿しているのだ。

全ては自分自身が自分を保つために・・・

今、この記事を書いている自分は本気だ。

でも、きっと本気じゃないんだ。

果たして俺が本当に本気になれる時がくるのであろうか??

そうならないといけない時期なのに、
それでも本気になれていない君(俺)へ送る記事でした。


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