本当の信用とは??


本当の信用って何!?

 

どうも、元スロット破綻者ユウです。

 

今回の記事は完全な主観であり、間違っているのか正解なのかは正直自分でも分かりません。分かりませんけども、それでも書いてみたいと思って記事を作成することにしました。

 

というか、この記事自体は薄っぺらいんですよ。でも、薄っぺらいけども俺としては「マジ」なことを言っているわけです。

 

皆さん、誰かを本当に信用したことはありますか??

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信用すること=〇〇である

 

誰かを信用するということって実は想像を遥かに超えるほどに難しいことだと思うんですよね。

 

例えば、友人・知人から連帯保証人になって欲しいと土下座されて必死に頼まれたとします。

 

「ここまで俺を頼ってくれるのか・・・こいつなら信用できるし引き受けるか」と、引き受ける方も中にはいるかと思います。では、連帯保証人を頼んできた人は果たして本当に信用できるのでしょうか??

 

もしかしたら、途中でトンズラこいて借金が連帯保証人に全ていってしまうかもしれませんし、そうなれば自分の人生が大きく変化してしまうでしょう。

 

 

もしも、保証人を引き受ける事前に、

 

「お前は俺にリスクの高い連帯保証人を頼んだ。じゃ、お前は俺に何かあった際に、俺の下の世話(排泄の汚れを綺麗にしてあげること)までしてくれるのか??」

 

そう尋ねた場合に嘘偽りなく「お前に何かあった際には下の世話までして面倒みてやる!」と言えるならば信用に値するかもしれません。

 

何もそこまで・・・と思う内容かもしれませんが、人を完全に信用するということは、我々が普段考えている以上に難しいことだと思うので例えでだしました。

 

また、途中までは信用していた人がいたとして、もしもその人の悪い部分や使えない部分、ダメな部分を見て「こいつはダメだ」と途中でバッサリ切るならば、それはどんな理由であれ「最初からその人の事を信用してなかった」のではないのではないでしょうか??

 

人を本当に信用するということは、その人が死ぬまで決して裏切らずに最後の最後まで信用し続けることを「本当の信用」というのかもしれません。

 

気持ち悪くいうならば、その人の良い部分も悪い部分も分かった上で全てを飲み込んでやることが出来るならば「その人を本当に信用するに値することが出来る」ということに繋がるのかなぁ~とも思います。

 

俺の場合、実はそこまで深くは考えたことはありませんでしたが、とある本を読んだ際に「人を信用する」という言葉がどれだけ重いのかということを知り「なるほど!確かに重い!!」と思ったのです。

 

そして、その本を読み終えた後に「人を信用すること」という言葉の重みを考えて、今では「あの人は信用できるよ」なんて軽はずみな言葉を使うことを辞めました。

 

私には仲の良い友人が何人かいますが、その中で「こいつなら本当に信用できる」と思える友人は多分2人だけです。たった2人かもしれませんが、2人いるということはとても幸せで嬉しいことなはずなんですよね。

 

多分という微妙な言葉を使ったのは、俺が本当に信用しているつもりでも、正直自分でも本当に信用しているのかを考え出すとキリがなくなり分からなくなってしまうからです。

 

 

「じゃ、本当は信用はしていないのでは??」

 

と、思うでしょうが、自分の中では「いや、そうじゃない!」と否定するわけです。でも、考え出すと本当に何が何だか分からなくなるという時もあるのが事実なんです。

 

そう考えてしまう段階を客観的にみると、まだまだ「誰かを本当に信用していないのでは?」とも思うわけです。

 

 

でも、

 

私は基本的に誰かに簡単にお金を貸すことはしませんが、もしも「信用できる奴」から大金を貸してほしいと言われれば当然貸します。そして、自分の中ではその貸したお金というのは「貸した」というよりも「あげたも同然」なのです。

 

 

つまり、「信用できる奴」ならば例え踏み倒されても構わないということを前提とした上でお金を貸すからです。この考えはとある本を読んでからそうなりましたし、実際に信用できる奴にそういう気持ちで金を貸したこともあります。

 

例え、信用した奴からお金を返済されなくても、そいつを信用したことを後悔はしませんし、貸したことも後悔しないです。何故ならば、俺はそいつの事を「本当に信用」していたからです。

 

また、同時に借金を仮に踏み倒されても、俺からそいつを切ることも絶対にしません。

 

「俺は本当に奴を信用しているから」と決めていたからです。最後の最後まで信用して生きていこうと思ってます。ただ、それが本当に実行できるのかは正直分からない部分もあるのが本音ですが、そうすること自体が俺にとっての勝手な自己満足なのかもしれないです。

 

「人を信用する」ということは簡単な言葉じゃないし、簡単に人を信用することも、簡単に信用されることでもないということなんだよなって、改めてこの記事を書いていて思います。

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本当に信用されるような人間

 

本当に信用されるような人間って「どんな人間なの?」「どうすればなれるの??」「人に何を提供すればいいの?」「真面目ならいいの?」「社会的信用があればいいのか?」って色々と考えることがありますが、信用できる人と誰かが決めることは当たり前ですが、自分自身が決めることではなくて、その人自身にしか分からない理由で「こいつなら信用できる!」と決めることなんですよね。

 

だから、俺自身が「いや、俺はそんなに信用されるような人間じゃないよ」って言っても「お前は信用出来る!」って言ってくれる人もいるし、その信用するに値する「理由」というのも、その人にしか分からないことなんですよね。

 

俺のことを「本当に信用」してくれる人は、いるとしたら多分「1人」だけかとは思いますが、それも勝手な思い込みでもあるし、そいつの本当の本音なのかも正直分かりません。しかし、思うことは相手からみて自分のことを「こいつは本当に信用できる人間だ」と思われたいという願望があります。

 

 

そう思う最大の理由は「誰かに本当に信用される、必要とされるような人間でありたいから」という根本的にエゴな思いがあるからかもしれません。

 

誰かに「本当に信用」してもらう為には、具体的にどうすればいいのかは頭の悪い俺には分かりません。分かりませんが、それでも「本当に信用」してもらえるようになる為の”生き方”をしていきたいとは思って日々生きてます。

 

具体的にどんな生き方をしていけばそうなるのかは分かりませんし、身近にいる「本当に信用できる友人2人」を見ていてもよく分かりません。何故、ここまでこの二人を信用できるのかさえ自分は上手く答えることが出来ないのです。

 

ただ単に、俺の頭が究極に悪いだけなのかもしれません(笑)

 

「本当の信用」ということについて的外れなことを俺はここまで書いてきたかもしれませんから、人から「それは違うだろ!」と思われるのも承知の上で書いてます。

 

それでも、今の自分がこの考えであることは確かな真実であって、ここまで語ってきたこと自体も嘘偽りのない俺の本音であることに変わりありません。

 

この記事に面白みが全くないことは分かりますし、 需要がないということは承知の上で、それでもこの記事を読んでくれた方には「信用するということの本当の意味、そして本当の信用とは?」について今一度考えて頂ければ、この記事を書いた俺としては嬉しく思います。

 

 

では、ここまでお読み頂きましてありがとうございました!!

 

 

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